元旦に能登半島地震。
何を言えばいいのか、と言葉に悩み、時間が過ぎてしまいました。
今も、救助活動や避難生活が続いていることを思うと、居たたまれない気持ちでいます。
泉大津からは毛布の救援物資を送っているとのことでした。
日本の避難所がひどい、ということは、2018年の西日本豪雨の時の、国会を聞いていて、海外ではどれだけ手厚い避難所があるかということを、確か、福島みずほ国会議員の質疑で知ったような気がします。
当時、やはり野党が大きくならなければ、と、立憲民主党や日本共産党のホームページから、どうやって党員になるのかということを調べましたが、どちらも党員になる道についてはわからず保留にして、六年後の今、日本共産党の党員になって、議員になったのだから、あの時、自分が選ぼうとした道を、引き寄せたのだろうと思います。
思い出話ばかりを書いてしまいました。
あれから、何一つ変わらないまま、と思っていましたが、後退としか思えない災害対応に、胸が痛みます。
自分に何が変えられるのか、何を変えたいのかを、問いながら、今年も頑張りたいと思います
やはり、避難所生活の改善は急務であることを思います。
命からがら逃げてきた人たちを、あたたかく迎える場所を作っていきたいと願います。
そして、能登半島復興のために、何が今できるのか。
まずは、仲間と一緒に、駅で募金活動をすることにしました。
見かけたら、ぜひ協力をお願いします。
やりたいことがたくさんあるのに、時間が本当に足りないなぁと思っています。
体力も足りず、精神力も足りず、党の支えと、家族からの支援があるから、立っていられる状態です。
そんな私ですが、今年も支えてくださればということを思います。
今年もよろしくお願いします。