松本まり の 徒然

松本まりが日常のことを政治とつなげて語るブログ

決意をしました。


しんぶん赤旗に載りました。
よろしくお願いします。


私が決意したのは、昨年の10月でした。
2021年の衆議院選の最中のことです。

選挙スタッフとして呼ばれて雑用をこなすはずが、パソコンでの仕事になってしまって、ほとんど外に宣伝にいけずに事務所で缶詰め続きの日々でした。


入党してからの選挙スタッフの経験は二度目でした。
自力の後退、高齢化、いろいろ言われていましたが、実感がありませんでした。
一度目の選挙スタッフは泉大津市長選で、数人ですがボランティアに囲まれた素敵な選挙事務所でした。
市長選挙ではたくさんの人が手伝いに来てくださっていました。
高齢化は感じましたが、こんなにたくさん集まるのなら問題ないんじゃないかと思っていました。

しかし、国政選挙はちがいました。
お手伝いに来ていた人たちも地元で選挙があるので、手伝いにこられるはずがありません。
それぞれの事務所や拠点があるので、物資は滞ることはないけれど、事務所にいて、事務所の対応をする人が足りませんでした。
だいたい、岸和田にある事務所に泉大津の私がスタッフで呼ばれること自体が大変な危機と言わざるを得ないことでした。
日本共産党がなくなってしまうかもしれない、と危機感を初めて抱きました。

それから、毎日行き帰りの自転車で考えました。
岸和田から泉大津、1時間前後くらいの道のりだったので、考える時間はたくさんありました。

日本共産党は地方議員をベースにして地域活動をしている、地方議員が要である、その地方議員を増やす、維持することが必要だ、と私は結論しました。
地方議員を増やすにはどうすればいいか?手っ取り早いのは私が議員になることだというのは自明でした。
しかし、私は人間が嫌いで、できれば人に出会いたくないし、そもそも経歴がありません。
専業主婦で、アルバイトが続かず、夫に呆れられて養ってもらっている身の人間に議員なんて務まるのだろうか?
人付き合いも苦手で人脈ほぼゼロです。思い上がりも甚だしいのでは?とかなり悩みました。

帰ってから、趣味のTwitterアカウントのスペースで、そのことを愚痴っていました。
そこで出会った人に、若い人が選挙出るだけで価値があるよと言ってくれる人がいました。
よく考えてみれば、私に決定権はないですし、議員になりたいですと伝えればいいだけのことで、言うだけなら問題ないかなと思い直しました。
決めるのは、日本共産党の仲間たちです。断られれば今まで通りなだけです。
気持ちは決まりました。私は地方議員になりたいです、と伝えることに決めました。


入党した当時、日本共産党など、どうでもよかったんです。
自分が生きるために利用し尽くそうと決めていました。
嫌になったらやめればいいと思っていました。
私が生きていることを肯定してくれる人たちが日本共産党にいる。
そして、私は私が納得できる人材を議員として送るお手伝いを最前線でする。
たつみコータローは絶対に国会議員に送りたい。
たつみコータローが日本共産党だから、日本共産党を応援するのだ、くらいの軽い気持ちでした。


でも、日本共産党の綱領、歴史を深く勉強していくうちに、考えは変わりました。
綱領を読めば、日本共産党がどれほど民主主義を大事にして、議論をしようとしてきたかということに感銘を受けました。
民主主義の土台は話し合いの中にある、それは私の民主主義の解釈と一致するものでした。
この理念を貫き通した先に、共産主義がある、共産主義とは、民主主義の徹底、会社や企業を社会化するというのは、そこに民主主義を徹底させることだと私は理解しました。

その理念を守り次世代に引き継ぐことは、私の人生を捧げるに足るものであるからこそ、私は日本共産党の議員になろうと決めたのです。

その気持ちを伝えたのは、酒席でのことでした。
ただち恵子議員と向かいになって、西村愼太郎さんがお隣にいました。
もちづき亮佑さんは挨拶回りに行って、3人残された席で、今回の選挙について聞かれて。
日本共産党が弱くなっている、地方議員が必要なのだと思い知らされた、この闘いを続けるためには地方議員が必要なので、私は議員になって闘いたいとお伝えしました。
ただちさんは、じっと私を見つめて「そう」と。一瞬沈黙がありました。
不思議と私は落ち着いていて、ああ、私は自分の運命を初めて自分の意思で選んだかもしれない、と思いました。
「こっちから言おうと思ってた」とただちさんは静かに言ったことを、今でもはっきりと思い出します。


そうして、私が泉大津市議会議員選挙に出ることが決まりました。
さまざまな手続きをして、半年。

こうして、お伝えすることになりました。

地方議員はその自治体の問題にコミットしていかなければなりません。

泉大津市で何ができるのか。

泉大津市での課題はたくさんあります。

経営統合による病院再編問題
図書館シープラ移転に関わる民主主義手続きの不可視
小学校中学校の給食食育など…。

泉大津市は民主主義の危機に陥っています。
市政の私物化、生煮えの議論が横行しています。
そのことをまずは私はお伝えしていかなくてはならないと思います。

がんばりますので応援をよろしくお願いします。