松本まり の 徒然

松本まりが日常のことを政治とつなげて語るブログ

名字の話

名字については複雑な気持ちがある。

8歳の時、両親が離婚したのだが、当時‘’平田‘’という姓だったが、その時は名字は変えなかった。

ところが、二年後に名字を変えることになった。「なんで名字を変えるの?」と聞いたら、「お父さんの借金取りが来るんだよねぇ」と言われて、それは困るだろうなぁと思ってしまった。

そういうわけで、10歳の時に名字を変えた。「なんで名字を変えたの」って聞かれて、どう答えたものかと思ったら、別のクラスメイトが「そういうことは聞いたあかんねん」と諫めてくれたのを今でも覚えている。

そういうわけで、私の苗字は‘’松上‘’というものに変わった。この苗字はとてもめんどくさかった。この頃、名字はどうせ結婚したら変わるものだしと、あまり気にしていなかった。夫婦別姓なんて、子どもが考え付くこともなかった。

そうして、14歳の時に、私たち兄弟は父親のところに行くことになった。

私の半生については改めて書いた方がいい気がするけれど、統一協会についてで少しだけ説明している。

そういうわけで、‘’平田‘’と‘’松上‘’で一緒に住むことになった。

問題はここからである。私たち兄弟の戸籍は、母が当時居住していた神戸に置いていた。名前を変えようと思ったら、尼崎から戸籍を取りに行かねばならない。父親はこういう事務作業が苦手であった。同じ兵庫県であっても、神戸というのは尼崎から販時間以上かかる。そういうこともあって、父親は戸籍を移す、名字を変えると言いながら、その事務作業をすることはなかった。そういうわけで、一緒に暮らしている三年半、嘘をついているようで嫌だと言ったが、戸籍は‘’松上‘’だったが‘’平田‘’で学校に通い、「名字を平田に変えてくれ」と言ったが、名前が変わることなく、私は‘’平田‘’で高校を卒業し‘’松上‘’で大学に入学することになった。

今、私の名字は‘’松本‘’なので、結婚している。夫は思想信条が異なるし、私とのかかわりについては、意思の確認をしていないので、夫の存在についてはできるだけ触れないようにしている。

結婚するときに名字を変えることにはまったく抵抗はなかった。上記の通り、嫌な記憶のまとわりつく名前を変えられたことには感謝しているのだけど、腑には落ちないなと思う。夫と家族になれてうれしいとは思わなかった。名字が変えられたことだけがうれしかった。

名字については、いかに親のエゴで振り回さるかということを痛感している。

同じ名字じゃないと恥ずかしいからと、戸籍とはちがう名前で通わされた高校三年間は本当に苦痛しかなかった。

嘘をつかされている、という自分にはどうにもできない状況に絶望しかなかった。些細なことでも、私にとってはつらいことだった。

名字が大事なのだというのであれば、家族になったら、名字が変わる制度でも作ってくれたらいいのに、そういうこともせずに、家族は同じ名字であることが大事だという人は、私のような人をぜひ助けてほしいと思う。

私自身は、選択的夫婦別姓には賛成である。結婚で名字を変えた友人が多かったことには驚いた。あだ名に名字を使っている子が多かったので、てっきり変えないものだと思っていた。

結婚したというだけで、名字を変えなければならないというのは理不尽であると思うし、何度も名字が変わるということを経験したものとしては、事務作業がなくても、うんざりするものである。

選択できるということは自由であるということだと思っている。

自由は何より大事なものであるというのであれば、選択的夫婦別姓は認めるべきである。

私の結婚生活には何の影響もなく、しあわせになれる人が増えて、私も「よかったね」と言える未来しかないのだから。